3月10日、「武藤サロン」が開催されました。  ~県立舞子公園 旧武藤邸~

3月10日は武藤山治の命日。
1934年3月9日、三治は出勤途中に暴漢に襲撃され、翌10日に逝去した。
命日であるこの日10日に、山治の嫡孫である武藤治太氏による、武藤山治追悼記念講演「武藤山治の生涯Ⅱ」が、旧武藤邸で行われた。
治太氏による武藤記念講演  武藤治太(はるた) 氏による講演
昨年同日に同邸で「武藤山治の生涯Ⅰ」と題して、山治の幼少時からアメリカ留学、鐘紡の社長になるまでを、今回はその後を継いで、政界進出から亡くなるまでの半生を講演した。
明治時代に、すでに先見の明ともいえる数々の制度、政策を打ち出した武藤山治。
武藤記念講演 武藤記念講演
女工哀史などに見られる劣悪な労働環境の時代に、従業員へ温情を施すことで不満を抑え、良好な関係を維持しようとする温情主義を唱え、病院や保育所を設けるなど、企業の福利厚生を実践。
また議員時代には、今でいうマニフェストを打ち出し、鉄道、郵政、電話などの民営化にもいち早く言及した。
講演では、家族の一員として見聞きした治太氏が、興味深いエピソードを織り交ぜながら「鐘紡の社長」という一般的な肩書には収まらない山治の魅力を紹介した。
山治はことのほか舞子を愛したという。
舞子墓園はもとは武藤家所有の土地で、のちに神戸市に寄贈されたもの。
治太氏も午前中は、舞子墓園に眠る山治の墓所にお参りされたそう。
余談だが、今でいうジェットコースターのような波乱万丈の人生を生きた武藤山治という人物、知れば知るほどさらに惹かれるという不思議な魅力を持っている。
私はひそかに、NHKが目をつけて、大河ドラマにならないかと願っているのだが。
平清盛、黒田官兵衛と、兵庫県ゆかりの人物が2人も続けば3人目は無理のような気もするが、現代社会の問題点を明治のころすでに指摘し、改善しようとした山治のような人物が、今の混迷した時代を解くキーパーソンになるのではと思う。    (堀)
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