先日、大学時代の友人の息子さんが陶芸の個展を開くということで、大阪の地下鉄谷町6丁目で待ち合わせをしました。
そこから会場まで、空堀商店街を歩いたのですが、豆腐屋だとか、鰹節屋、昆布屋、荒物屋などといった、
昔懐かしい店が多く残るなか、町屋風の古い店や住宅を利用して、
若い人たちのアート展や、それに準ずる手作り商品の店などが並び、とても風情がある街並みが続いていました。
空堀(からほり)というのは、太閤秀吉が大阪城を守るための堀を築いたという、そこからきた地名で、
その堀の石組みがまだ残っていて、よくテレビにも取り上げられていますが、
新旧がうまく融合しているという意味で、古い商店街の面影が上手く残っているところだと思います。
中でも「惣」「練」「萌」という名称で、年代物の建物を、
それぞれ個性的にショップや文化施設として展開しているのが、面白い。
わたしは「練」に入り、友人と展示商品を見て回り、
こういう使い方は、入場料を取って建物だけを見せるより、
多くの人が気軽に入れていいね、などと話しました。
(字が小さくて読めない方は、パソコンのCtrl ボタンを押しながら、
マウスのホイール(真ん中にあるクリクリ回すところ)を回すと拡大できます)
その友人から、「あの『練』という建物は大正期に舞子から移築したものらしいよ」という連絡が来ました。
それ以上は友人はわからないということで、私が調べることにしました。
ある大学のまちづくり関係のゼミの報告が見つかり、
「舞子のさる宮家の別邸」と書かれている個所がありました。
さらに調べると、「大正時代に、舞子の有栖川宮の別邸を解体、
船で運んで大阪に移築した」、というものが見つかりました。
インターネットの検索なので、どこまでが真実かわからないし、
また事実のことだとしても、保存のための移築ではなく、
どこかの富豪が、自分のために購入したのなら、
そのまま建築せず、自分の好みにアレンジしたかもしれず、
そのあたりのことは、もっと調べないとわからないでしょうが、
ちょっと面白い話だと思いませんか。
私はまさかそんなかかわりがあるとは知らず、まちづくりの方ばかりを見ていました。
知っていたら、もっとちゃんと見てきたのに、それが残念です。
2012年12月に、国の登録有形文化財になったとあります。
(2014年10月6日) (堀)
追記
大風呂敷を広げてすぐ、またたたむのもいかがかと思いますが…。
申し訳ありません。
有栖川邸は、昭和まで現在の舞子ビラのところに建っていたそうです。
大阪に移築されたものを、また「練」として移築したそうですが、
その「練」に関わった業者の方も、元が誰の所有だったかははっきり確定できないそうです。
ただ舞子にあったことだけは間違いないそうなので、また行く機会があったら覗いてみてください。
(2014年10月8日)
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