かきつばた咲く多聞寺から徳川道へ

今、多聞寺はカキツバタが満開。

平安時代に第56代清和天皇の勅命により建立されたという、由緒ある天台宗のお寺です。

有名なカキツバタは、開山した慈覚大師(第3代天台宗座主)が、中国から2000株を持ち帰り、植えられたものだということです。

境内のいたるところで、カメラを持った人たちが撮影していました。 

「毘沙門天王」というのぼりが出迎えてくれます。
毘沙門のサンスクリット語の音訳は「よく聞くところの者」。
漢字で表現すると「多聞」となり、お寺の名前はここからきています。
お寺の紋章がムカデというのも変わってますが、
毒を以て毒を制するということでしょうか。

本堂横に、びんずるさんが祀られているのを案外みなさんご存知ないのでは?
撫で仏さんで、身体の悪いところと同じ場所をなでると、治るといわれています。一説には、先にびんずるさんをなでてからでないと、反対に悪い気が入るともいわれています。

多聞寺を出て右側、北東に向かって歩くと、
多聞六神社の御旅所が見えてきます。

六神社の六は、六柱の神様が祀られているところから。
みなさんよくご存じの、イザナギ、イザナミ、アマテラス、ツクヨミ、スサノオ、ヒルコの神々です。

 

多聞村の鎮守社として、昔から祀られてきました。
いつのころかわかりませんが、明石の岩屋神社から御分霊を勧請して、この地に祀られたものといわれています。
80段の階段を登り切ったすぐ左側に、安永6年(1777年)と刻まれた石柱があるので、その時代にはすでにあったと思われます。

 

 

境内、本殿の左奥には、阪神淡路大震災で破損した鳥居の貫と、
ヒビが入った1対の狛犬が、震災復興の記念碑になっています。

右側には、秋祭りのお神輿蔵があります。

 

多聞地区は昭和のころに、道路建設や宅地造成などで、開発がどんどん進み、
あたりの地域の神社が、多聞六神社に合祀されました。


下の鳥居の右側に隣接する「白髪大明神」。
その他、境内には天台宗ゆかりの大山咋(おおやまくい)神、アメノウズメノミコトが祀られています。

境内から東側の鳥居をくぐって、多聞台の方へ。
バス道に合流して、上り坂を北に行くと、多聞台団地センターへ。

ここでちょっと一服、リニューアルした「たもん・センター・カフェ!」へ。

 

しばしの休息のあと、今度は舞多聞地区に向かって出発。

「たもん・センター・カフェ」から少し戻り、左手、東側に折れてバス道に合流します。さらに東へ進み、バス停「多聞台」で右折、そのまま歩きます。

 

ここから舞多聞地区へ。

右側の下りの道路は、昔あった「舞子ゴルフ場」の入り口だったところ。
(ここを下ってしまうと、多聞舞子線の本線にでるので、今回はスルー)

新しいステキな家々の間を抜け、小公園で左に曲がって、直進、

まもなく「ドラッグストアコスモス」が見えてきて、信号を渡れば正面の公園の向こうに、2016年に開校した、舞多聞小学校が見えてきます。

西の斜面は、現在工事中。
公園で子供を遊ばせていた人に聴くと、校舎の増築だとか。
5階建ての建物になるそうで、
「もうすぐ日本一のマンモス校になるらしいです」。

 

 

さらに直進すると、舞子ゴルフ場の記念碑が。
同ゴルフ場は、昭和35年に兵庫県下初のパブリックコースとして完成、当時の相場の五分の1の価格で回れたそう。阪神淡路大震災などの影響で、平成8年閉鎖されました。

道なりに、さらに直進、

 

舞多聞西の、バス道に出ます。
右に、舞多聞のコミュニティーセンター「舞多聞100年の杜」を見ながら直進。

 

ニトリの大きな看板が見える信号を渡ると、舞多聞を離れ、小束台へ。

ニトリとオートバックスの間を抜け、突き当りを左にいくと、ゼビオ裏側付近から、さらに右へ。

 

小束台公園をぐるっと回って、さらに奥へ。

 

やがて、徳川道が。

「徳川道」というのは、一言でいうと西国街道のう回路です。

江戸時代の終わり、神戸が外国に向かって開港するにあたり、

横浜で起こった「生麦事件」の二の舞を防ぐため、

大名行列などが、外国人と当たらないようにと作られました。

道の両側に登りの階段、

左手側は西区方面、明石の大蔵谷に向かいます。

右手側は、徳川道の垂水区の一番西になり、ここから高塚山を経て、白川、鈴蘭台を辿り、今の森林植物園を抜け、摩耶山石屋川辺りで、西国街道に合流、というのが、徳川道です。

 

現在、この辺りはハイキングコースとして整備されています。
北側は西区、南側は垂水区と、徳川道が区の境目になっています。

垂水区側は、小束台としてこの数年でどんどん開発が進み、以前はうっそうとした緑陰の道でしたが、現在は見晴らしもよくなり、天気のいい日には明石海峡大橋も望めます。

 

15分ほど歩くと、下りの階段、突然都会に戻ります。

目の前には、ブランチ神戸学園都市や、ドン・キホーテ。

 

この徳川道の付近まで、昔は多聞寺の地所でした。

多聞村として田園風景の中にあったところは、近年、舞多聞ガーデンシティーをはじめ、どんどん開発されていっています。

 

ゴルフの打ちっぱなしの練習場だったドン・キホーテのある場所の横に、シニア向け分譲マンションが間もなく完成のようです。

徳川道は、それらの施設から隠されるように、裏側の高塚山へ登る登山道として続きます。

それは、今度の機会に。

     (2019年5月)        (堀)

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