1945年8月6日の広島への原爆投下から今年で68年、戦争を体験した人は、全人口の25パーセントを切り、まして原爆体験を語れる人はごくわずか。
東日本大震災の福島第1原子力発電所事故など、新たな原子力への不安が広がるなか、85歳を迎えた古石さん(兵庫県原爆被害者団体協議会・理事長)は、平成元年から市内の小学校に出向いて原爆体験を話す活動をずっと続けている。
古石さんは16歳で志願兵となり、原爆投下のあった直後から、広島で救援活動に従事、その惨状を目の当たりにし、自らも被爆した。
多くの犠牲者を次々荼毘(火葬)に付すなか、抱いた乳飲み子を放さず焼かれていく母親を見て、「なんで兵隊に志願したのか、何のための戦争か。母のところに帰りたい」と強く思ったそう。
罪のない人が地獄の苦しみを味わい、無念に亡くなっていく姿を見たことが、今も頭から離れない。
「戦争体験のない人、特に子供に、平和の大切さを知って欲しい」。
戦後、被爆者への偏見は、就職、結婚、そして風評被害に及び、古石さん自身も、結婚の時正直に被爆者であることを話したため反対され、結婚式ができなかった。
隣人に「長崎にいた人からお惣菜もらったけど、食べても大丈夫かな」と,古石さんが被爆者と知らず、そう聞かれたこともある。
被爆者だと声を大きくして言えない時代が続いた。
「あの時救えなかった人の為にも、被爆の差別で苦しんでいる人の為にも、原爆のことを語ろう」。
原爆の写真や書物など、多数の資料。
手記など、ドイツ語やフランス語、英語などに翻訳されている。
古石さん自身、海外のメディアから取材を受け、テレビ番組の特集で紹介されたことも。
小学校で原爆体験を語り継ぐ一方で、高齢化した被爆者や、その2世の人が、家に引きこもらないよう、お茶会なども催す。
「数年前に生死の境をさまよう大病をしましたが、娘から、この活動があるからまた元気になれたと言われました」と、古石さん。
小学校の2学期が始まったら、広島への就学旅行を予定している、神戸市立多聞南小学校など、数校に語り部として出向くことになっている。 (堀)
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