「垂水小学校校舎建て替えの発掘調査」で、平安時代後期の有力者のものとみられる大型屋敷跡が同校敷地内で発見され、2021年11月13日に神戸市による現地説明会が行われた。
これまで垂水には、東大寺の荘園としての記録や、平清盛の法華堂の記述がある吾妻鏡など、ごく少数の文献しかなかった。
垂水は海上交通が盛んだった古墳時代の頃の、交通の要所としての立地や、
以前当ブログで紹介した、「垂水日向遺跡(レバンテ1号館地下1階)の、縄文時代の足跡の展示などがメインだった。
現在の垂水区役所付近で儀式用の土器などが見つかったこともあって、
「同じ場所に同じような行政の建物があったのか」くらいのイメージだったが、
今回、平安後期の貴族の屋敷跡が発掘され、それが平清盛につながる歴史的な発見となるのではないかと説明があった。
播磨の受領などをしていた藤原邦綱など、歴史的に有名な人物の名もでて、
「かわらけ」と呼ばれる儀式用の素焼きの土器が大量に見つかり、
直径2.5mほどの井戸には、井戸屋形と呼ばれる瓦葺の覆屋が立っていたそう。
「かわらけ」や覆屋の瓦の唐草紋など、兵庫区祇園遺跡にも同じようなものが見つかっているそうで、平清盛との関係性など、その時代の様々なことが、これらの遺跡からわかるそう。
研究が進んで、垂水の歴史に一条差し込むといいですね。
(2021年11月) (堀)