松平日向守供養石碑、知っていますか? 霞ヶ丘

五色塚古墳から北へ、霞ヶ丘交番を経て、さらに北へ。
山陽バスが通る道沿い東側の一角に、ひっそりとこの石碑がある。

江戸時代初めに明石城城主としてこの地を治めた松平日向守信之を慕った農民たちが、公の死後建立したものだという。
播州の地を離れ、老中として下総で没した公だったが、農民たちはその治世を忘れず、慕っていたのだろう。

公は領地の新田開発・掘割開削に当たり、また柿野本人麻呂を祀った人丸神社を整備したり、菅原道真が九州左遷の途中に休息したとする大蔵谷に天神社を建立するなどした人物。
垂水では霞ヶ丘の垂水新田を開発、水田にまでは至らなかったが、畑作が可能となり、のちの日本初といわれる歌敷山のイチゴ観光農園業につながる。

現在は宅地造成で家々が立ち並び、有栖川宮別邸など天皇ゆかりの地となり、高級住宅地として、畑やため池なども姿を消した。

天神川開発の折、川沿いの石碑などを一緒に移築

(2018年9月)           (堀)

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