つい最近、「ランナーズ銭湯」で紹介したばかりの垂水の銭湯。
1週間ほど前に、コメントをくださった方がいて、
「この9月いっぱいで閉まってしまう」と知り、びっくりしました。
阪神淡路大震災の時は、何度かお世話になりました。
「天水」という名から「天水桶」、昭和世代には懐かしい、
「防火用に雨水をためる」イメージを持った人もいるかもしれません。
でもここの「天水」は由緒ある、歴史に関わるところからきています。
今は暗渠(あんきょ・地下に入って外から見えない水路のこと)になってしまいましたが、
震災前は、前の「商大筋」に沿って、天神川という川が流れていました。
そしてこの天ノ下の地に「天神さんの山」と呼ばれるこんもりした丘があり、
菅原道真公が祀られていました。
須磨、明石間に「綱敷天神」「官公橋」「休み天神」と道真ゆかりの場所が多くあるので、
ここもその一つだったかもしれません。
祠(ほこら)があったそうで「瑞丘神社」と呼ばれていましたが、昭和6年に
八幡神社に合祀されて「瑞丘八幡神社」(高丸1)となりました。
戦時中はこの天ノ下の丘に防空壕が掘られていたといいます。
また「天ノ下」の地名はそれとは別に、現在の瑞丘八幡神社のある場所に祀られていた、
京都の祇園さん(八坂神社)の祭神と同じ牛頭天王(ごずてんのう・日本ではスサノオとしているところも)、
その神が祀られた場所の下方の地ということで「天王下」が「天ノ下」になったといわれています。
姫路の広峰神社から、京都の八坂さんに勧請されていく途上の地として、
このあたりで休憩でもとったのかも、と想像が膨らみます。
そして、「瑞」が示す意味、
「めでたい」「みずみずしい」「みず」など、
この地には、きれいな水が湧いていたといいます。
天水湯のあるじ、藤本章夫さんに伺った話では、
今でも番台の下に井戸があって、清水が湧き出しており、
天水湯の半分は、この湧き水を利用していたとのこと。
藤本章夫さん
水質調査では極上の水だったそう。
六甲山系の恩恵でしょうか。
平安時代か、それ以前から崇められていた湧き水を、
贅沢にもお風呂の湯として使っていた「天水湯」。
今でも湧きだしているのに驚きました。
こんな時だからこそ、お話を伺えたのかもしれませんが、
知った時には、時すでに遅し。
この「湧き水」もどうなるかわからないそうです。
できたら何らかの形で残してほしいですね。 (2015年10月) (堀)
コメント