誰もがスポーツを楽しめるように・・・活動続けてもうすぐ半世紀~垂水区団地スポーツ協会

昭和40年代、阪神間のベッドタウンとして開発が急激に進んだ垂水区。
多聞や明舞などの団地が次々と建設され、昭和45年頃には、垂水区民の35%が団地住民だったという。
昭和39年(1964年)には東京オリンピックが開催され、スポーツへの気運が高まっていた頃で、
これらの新しい住民の間で、団地対抗のソフトボールなどの親善試合が行われるようになっていた。
やがて練習場所の確保など活動を行うにあたり、誰もが楽しんでスポーツができる組織として、
垂水区団地スポーツ協会が昭和44年(1969年)に誕生した。
団スポ 古田さん 代表の古田さん
代表の古田峰子さんは、発足当時から世話役として、
同会の運営を行ってきた一人。
「私はお茶とお花をしていて、スポーツなどしたことがなかったの」と古田さん。
「たまたま主人が世話をすることになり、私も手伝うことに」。
6つの団地から350人ほどのメンバーが集まり、野球・バレーボール・卓球の3部から始まった。
団地以外の住民からの要望も多くなり、昭和50年には対象を「団地住民」から「地域住民」に。
3部会に加えて、ゴルフ、ボウリング、ハイキング、マイテニス、マイピンポンや、子供対象のジュニア野球とサッカー、
文化関係の詩吟、さらに団地内の公園管理会などが加わり、多い時で3600人を数えた。
発足当時から変わらないのは、会費が月ひとり10円。
桁が2つほど足りないように思うが、全員が主役で楽しめるように、
それぞれの部会で活動に応じて、会費を徴収。
年に2回、コミュニティスポーツ(コミスポ)という広報紙を発行、会員同士の連携を図る。
無理のない方法を考え、だれでも、どのようなチームも参加できるように
部会の中で話し合う。
50年近くの歴史の中で、行政などの助成なく、それぞれの部会会員が自ら運営するという、
本当の意味での住民主体の活動は、今もモデルケースとして、大学・行政などの視察対象になることも。
「選手を育てるのではなく、みんなでスポーツを楽しむ」。
創立当時の理念は今も変わらず、子供から大人まで多くの人が参加、楽しんでいる。
(2016年5月現在)            (堀)
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